藤井能三南嶋間作高峰譲吉松村謙三林 忠正嵯峨寿安吉田忠雄堀田善衞

国際的視野を持った芥川賞作家堀田善衞
「堀田善衞文庫」

 善衞さんは、1918年(大正7年)現在の高岡市の伏木において、「鶴屋」という代々廻船問屋を営んでいた家に生まれました。
 廻船問屋では、「北前船」という帆に風を受けて進む木製の船を使って、北海道から大坂までの日本海側の各港に立ち寄り、米や昆布などを運んで、大きな商売をしていました。
 しかしながら、大正時代になると、それまで活躍していた北前船に代わり、蒸気船が登場し、その結果、かつて商売繁盛した善衞さんの家も経営が苦しくなりました。
 善衞さんは、かつてあんなに栄えた自分の家が倒産するのを見て、「万物は流転する」とか「諸行は無常なり」ということを子どもごころに身にしみて体験しました。
 そのことが、善衞さんの文学の根本となる『繁栄するものは、かならず滅びる』というような考え方を形づくったのだと思います。多くの作品の中で「過去の出来事、世界で起こっている出来事については、みんな同じように万物流転の法則がある」と、歴史(時間)的比較、欧州と日本の比較をしています。
 また、善衞さんは、少年時代、屋根に上がり、頭上を過ぎ水平線の向こうへと消えて行くプロペラ飛行機を「どこへ行くのだろう」と思いながら見つめました。
 さらに、屋根の上から見える法定伝染病の患者を隔離収容する「避病院の白ペンキは、私にとって西洋であった」とも記してあり、海外に対する強い思いは、既にこの頃からありました。
 このように、時間と空間を超えた幅広い国際的な視野を身に付けた善衞さんの出発点は、彼の生まれた高岡市伏木にありました。善衞さんが作家となってからも、当時の国際的な戦争と混乱の真っただ中のインド、ベトナム、キューバなどの現場を見歩いてユニークなリポートを書いたのは、この「国際感覚」を伏木で養っていたからだと思います。

 善衞さんは、楽器店に下宿して音楽家をめざし厳しい練習にも耐えましたが、残念なことに耳を患い、音楽家の道を断念せざるを得ませんでした。大学卒業後、就職した国際文化振興会から上海に派遣され、昭和20年上海で第2次世界大戦の終戦を迎えました。
 昭和22年に帰国し、昭和26年に「広場の孤独」を中心とする作品群を対象に芥川賞を受賞されました。この作品のテーマは、現在の世界・日本社会に鋭い関心をもって生きていく知識人の苦悩と不安と孤独を描くところにありましたが、善衞さんは、常に政治・社会の現実から逃避することなく誠実に生き抜いていきました。
 昭和52年(1977年)から11年間、スペインに拠点を移住(そこで『定家明月記私抄』を執筆)しましたが、日本を離れスペイン行きを計画した善衞さんは、その渡航手段として、横浜出港からオランダ・ロッテルダムで下船するまでの37日間の船旅を選択しました。
 飛行機の時代となり、欧州行きの定期船が無くなったため、ようやく見付け出したのがポーランド海運の不定期便の貨客船でした。
 善衞さんが渡航に際し、船で行くことにこだわった理由については、「廻船問屋に生まれた私には、船でヨーロッパへ行くことは生涯の夢の一つであった」と述べています。

 善衞さんの文学は、日本から中国、インド、中東、アフリカ、ヨーロッパ…、果てしない空間的な広がり、そして現代から近世、中世へと遡る時間的な広がりを持っています。
 このような大きな規模で、古今東西の時間と空間を自在に飛び回り、しかも常に新たな切口から人とは何かという我々に問われている課題に示唆を与え続けてくれた作家は善衞さんくらいしかいないといわれています。
「一人の人間は、ある歴史上の一時点、そして地球上の一地点に生を享ける。いつの時点に生まれるのか、どこに生まれるのかについての選択権は与えられていない。」
 善衞さんは、時空を自在に飛び回っては、時間・歴史の流れのなか、ある場所で、真剣に生き抜く人々の様子や、そこにある人々の生きる姿をダイナミックに描いています。

 現在、伏木中学校には「海風会館」(平成12年開館)、伏木高校には(堀田善衞さんの初版本等を取りそろえた)国際交流室『ルシェル』内において、善衞さんの偉業を讃えております。

●堀田善衞さんの年表
1918年(大正7年)   射水郡伏木町(現高岡市)に生まれる。父勝文、母くにの3男。家は代々廻船問屋の旧家「鶴屋」
1931年(昭和6年) 13歳 石川県立第二中学校入学。米国人牧師の家に寄宿、日常生活に英語を用いた
1936年(昭和11年) 18歳 慶応義塾大学法学部政治学科予科に入学
1940年(昭和15年) 22歳 文学部仏文科へ転科。白井浩司、加藤道夫らを知り、同人詩誌『荒地』などに加わる
1942年(昭和17年) 24歳 卒業後、国際文化振興会に就職
1945年(昭和20年) 27歳 同会より中国に派遣され、上海で終戦を迎える。帰国は同22年
1951年(昭和26年) 33歳 「広場の孤独」を中心とする作品群を対象に芥川賞を受賞。以後、数多くの小説・評論を執筆し、戦後作家の中心的存在となる
1956年(昭和31年) 38歳 インドで開かれたアジア作家会議に出席。以後、A・A作家会議の主要メンバーになるなど、日本を代表する作家として国際的に活動する
1974年(昭和49年) 56歳 筑摩書房から『堀田善衞全集』全16巻が刊行され翌年完結する
1977年(昭和52年) 59歳 スペインに移住。滞在8年
1993年(平成5年) 75歳 新版『堀田善衞全集』全16巻が刊行され翌年完結する
1998年(平成10年) 80歳 9月5日逝去
2000年(平成12年)   伏木中学校に堀田善衞を記念した「海風会館」が開館する
2005年(平成17年)   伏木高校国際交流室内に善衞さんの初版本等を集めた「堀田善衞文庫」が開設される

■参考にさせていただいた文献
「越中人譚」株式会社チューリップテレビ発行
「堀田善衞復刊記念特別WEBサイト」スタジオジブリ
■ご協力いただいた方
犬島 肇氏