水害復興記念の集い
平成14年7月11日(木)
 昔から「浅井の人は働きもんだ」「浅井は教育熱心だ」といわれるのはどうしてだと思いますか。実は、この水害復興に村民が一丸となって取り組まれ、一生懸命努力されたことから言われたことばであり、そして、若い時に一生懸命勉強しておくことが、やがてはいろいろな困難に出会ったときに必ず力となって表れると教育を重んじられたということなのです。
 4年生が、以前に婦人会の方によって作られた水害と復興の様子の紙芝居「大水害から立ち上がった人々」を発表しました。
 復興に際して、村人の先頭にたって指揮してくださったのは当時の村長麻生正蔵さんでした。
 荒れ果てた農地、復興には6年以上はかかるだろうと思われていたのですが、昼夜にわたる村人の並々ならぬ努力によって5年の歳月で見事な美田によみがえりました。
 学校裏にある水害記念碑に献花の予定でしたが、あいにく雨空で行くことができず、体育館で行いました。
 初めての1年生も、今年で最後の6年生も心静かにお花を供え、先人の冥福を祈り、あわせて感謝の気持ちを表しました。
 庄川の氾濫も数えること38回余り、なかでも昭和9年7月11日の大洪水は、浅井地区にとって未曾有のものであり、大きな被害をこうむりました。その教訓を後世に伝えようと設けられたこの復興記念日を子どもたちにも、意義のある日としての位置づけています。
  水害復興記念碑
 大水害から6年後に、復興の経過と報恩感謝の意を伝えるために、水害地の中心(土合)に作られたもの
  洪水水位標(小学校前)
 洪水のとき、どのくらいの水位であったかを示したものですが、町内には六ヶ所設置されている。 
破堤碑(堤防の決壊箇所)
 西広上地区では4箇所も堤防が決壊しました。その後に立てられた石碑