浅井美術館
 子どもたちの美的感覚を養うためには、よりよい環境づくりが
大切です。子どもたちの日頃の学習の成果としての作品の展示紹
介はもちろんのことですが、校舎内にあるいくつかの美術品(絵
画、扁額及び書、記念額等)に少しばかりの解説を加え、ここに
ミニ美術館として紹介します。
    「寂光」竹村秀水画 
 寄贈(昭41.11.5) 東京都 浅井豊治氏
   「一座の人達」竹村秀水画
 寄贈(昭45.4.13) 東京都 浅井豊治氏
   平成9年度学校安全文部大臣表彰受賞記念パネル
         寄贈  浅井報徳自治会・浅井小学校育童会
 子どもたちが学校、家庭生活の中で、健康で安全な生活ができるよう
に学習し、危険に対し自分で判断し、常に安全に行動できる態度や能力
をもつように心がけ、活動に取り組んだことが評価され、受賞につなが
ったものです。
 具体的には、教科・領域の中で行われる安全教育、安全点検や校舎
内外の環境整備、学校事故と危機管理の校内研修等を等した安全管理
さらに関係機関やPTAと連携した避難訓練や交通安全教室、交通安全
街頭補導、安全な学習環境づくりなど家庭や地域とも連携した安全教
の推進等の実績です。
「古九谷壷に静物」
寄贈(昭29.1) 松下 宗義氏
      「詩」
 寄贈(平6.9.5) 柳澤 良三氏
扁額の部
     「切磋琢磨」 本能寺貫首 和田日摂書
                寄贈 大門町島 中村 邦朗氏
 この書は、法華宗の開祖日隆聖人の遺徳を偲び、宗の本山・京都本能寺
貫首和田日摂上人に、聖人生誕の地にある浅井小学校の子どもたちに対し、
「聖人を手本として勉強に励みなさい。」との思いを込め、平成3年に揮
毫いただいたものです。
 これは、「玉・石などを切り磨くように、道徳、学問に努め励んでやま
ず、また、仲間どうし互いに励ましあって学徳を磨く。」との意味があり、
さかのぼること大正2年、誕生寺で行われた日隆聖人450回忌法要の折、
本興寺貫首日精上人が浅井小学校の子どもたちへ諭されたことばです。
浅井小学校では、当時毎月25日に「琢磨会」と称する学習発表の場が設け
られていたそうです。
   「一以貫之」    本興寺大僧正 日精書
 「一を以って之を貫く」この四文字は、大正2年4月25日誕生寺での
日隆聖人450回忌法要の折、おいでになった法華宗大本山本興寺貫首桃井
日精上人が、浅井小学校の子どもたちのために揮毫くださったことばです。
 論語の中で、孔子が弟子の曽子に「自分の道は、一本を通してきたのだ」
といわれました。子貢にも「お前は、私が多くのことを学んで、いろんな
ことに通じている者と思うだろうが、それは誤りである。私はただ一事に
一生を捧げてきたのだ。私の一生を貫くのは、道を求めることで、全生命
はこの一事にかかっているのだ。」といわれた。曽子は「先生の道は、忠
恕の道である」という。今も「子どもたちへのまごころと思いやりの道を
迷わず歩みなさい」と語りかけているようです。
 現在の書は同じ文言を再度揮毫いただいたもので、昭和60年10月14日誕
生寺での日隆聖人600回忌法要が営まれた折、本興寺貫首小西日静上人に
お願いしたものです。
 
    「自主礼節根性」  文部大臣 奥野 誠亮書
 昭和49年の浅井教育百周年記念事業のひとつとして、当時の奥野文部
大臣に揮毫をお願いして書いていただいたものです。当時、富山市の松岡
松平代議士の紹介で、浅井小学校育童会会長が東京に頻繁に出向いておら
れたこともあり、直接書いていただいたという。文言については、浅井教
育百年の記念事業との主旨を伝えると、大臣自らが選ばれ揮毫されたもの
だそうです。
     「為善最楽」  正二位  素介
 中国(後漢書東平憲王蒼伝)で格言化している文言で、
「善を為すは、最も楽し」と読み、善いことを行うことは、
最も楽しいことであり、善行を一番の喜びと感じる子どもを
育むことの大切さを、私たちに示唆していることばです。
 この書は、明治15〜16年ごろ、土合の麻生氏が古道具屋で
求め寄付されたものであり、村の集会所として使われていた
小学校の礼法室に掲げられていたものです。
 下条出身の浅井氏は東京で盛大に運送業を営んでおられました。奥様
は号を竹村秀水と称する画家として活躍されており、故郷の小学校への
作品の寄贈となったようです。
 また、近隣の施設である大門町総合会館(現在はコミニティセント−
へ移譲)、町役場、大島小学校等にもすばらしい作品を贈呈され、今も
展示されています。
 広島で美術教師として教鞭をとっておられた松下氏は、奥様が
原爆の被災者となられたのを機に居住を大門町に移されました。
昭和22年9月、大門中学校の初代校長として赴任され、昭和29年
3月までの7年間在職されました。その間、専門分野の絵画を楽
しまれ、作品のいくつかを近隣の学校へ贈呈なさったようです。
パネルの部
絵画の部
 堀内の柳澤氏は、幼い時から絵を描く
ことが好きで、郵便局員としての勤務の
傍らも、趣味としてずっと絵画は続けら
れていたという。特に馬や牛を描くこと
が得意であったそうです。
 はじめは抽象画が多く、50代になって
明るい色調の画に変ったと聞いています。
 その創作意欲を生かしたいと自ら印刷
業をたちあげ、現在、順調な企業として
業績をあげておられます。
 作品は大きいものが多く、県民会館
(現在は教育文化会館)、大門町役場等
でも見ることができます。
 残念ながら、63歳の若さで他界されま
した。
「古伊万里壷と古九谷鉢の果花」
寄贈(昭24.3)  松下 宗義氏
卒業制作の部
 在籍の証を残したいと取り組んだ卒業制作。力をあわせてひとつ
の作品にしたものやひとりひとりの個性の読み取れる作品に仕上げ
たものなどいろいろです。今残っている作品です。
  校歌碑(昭和47年度)
 一文字一文字、心を込めて赤
いレンガに刻んだ校歌。この前
に立つと、懐かしさでひとりで
にメロディを口ずさむのが不思
議です。
   [蛍の里」(昭和62年度)
 鴨川を中心に源氏ホタルが飛び交
う様子をタイルで表現してみました。
中田地区から浅井にかけての清らか
な水辺に棲み、、平家ホタルより大
きく、飛び交う時期も早いのが特徴
です。
書の部
   更生四則
 麻生正蔵村長のもと、
浅井水害復興の柱となっ
た文言「自力、協同、奉
仕、進歩」であり、今も
地域の人々の心の支えと
なり、受け継がれていま
す。
    「以徳報徳」
 論語にある「徳をもって徳に報い
る」。人間は天・地・人すべての恩
徳によって生きているから、自分に
恵まれた徳を世の中に一円融合させ
てこれらの恩徳に報いる生き方をす
ることを報徳の精神と尊徳はいって
います。
   友(昭和61年度)
 友達の顔を木彫で表現してみまし
た。眉、目、鼻、口等でそれぞれの
特徴を表せるようにと、よく見てが
んばりました。
   鳥(昭和60年度)
 飛ぶ姿がうつくしい鳥、川面に
ただよっている姿がきれいな鳥、
くちばし等に特徴のある鳥、その
上大小様々な鳥がいます。それぞ
れのよさ、持ち味を生かして、未
来へ羽ばたくことを願って彫りま
した。
       「一円融合」   浅井僧尚書
 「世の中は常に動いて発展するけれども、天地の総計は増しもしなけれ
ば減りもしない。それはすべてのものが輪廻しているからである。自然界
では、それこそ自然に一円融合が行われて、種・草・花・実と輪廻してい
く。これは尊徳のいう「天道」の世界であり、人間の力を作物に一円融合
させてよりよいものにする。それも、ひとりでやらずに、家じゅう、村じ
ゅう、町じゅう、国じゅうの人々が互いに一円融合してやれば、きっとう
まくいく。」このような尊徳の考えが、浅井復興の柱となって未曾有の水
害からわずか6年あまりでみごとな田畑に甦えらせたのでしょう。
 この扁額は、新体育館が建つまで体育館に掲げられていましたが、現在
は浅井公民館にかけてあります。
「書」 山岡鉄舟
 この軸は、明治維新の際、西郷南州や
勝海舟とともに活躍した山岡鉄舟の墨蹟
です。氏は剣道、書道の名人であり、そ
して禅の大家でもあったそうです。
 書に関しては大変速筆で、一日に1300
枚くらいは書いたといわれています。入
木道の継承者だそうですが、王義之を習
ったり、弘法大師を真似したりした時期
もあったようですが、書は自分の心を写
すと悟り、独特の筆跡となったようです。
 この軸は達筆で残念ながら読めません
が、現在浅井公民館にかけられており、
前述の「為善最楽」とともに明治期に小
学校へ寄贈されたものだと聞いています。