校歌の由来

 校歌の制定の時期は、明治時代の浅井尋常小学校と呼ばれた時代にさかのぼります。当時の校訓は自治、協同、謝恩の3つから成り浅井の教育の真髄を浅井の豊かな自然とともに、校歌に詠まれたと考えらます。
 富山県のシンボルとしての立山を太刀山と表記したり、浅井の里に多くの恵みをもたらす庄川を雄神川と記すなど、万葉集で詠まれている表現に文化の香りを感じます。また、米どころ射水郷一帯を三島野と呼んでいたことや誕生寺の誕生水も加えるなど、地域浅井の自然の豊かさが伝わってきます。特に3題目では、浅井城でお生まれになった日隆上人の名を詠みいれ、子どもたちが一生懸命勉学に励むようにとの願いが込められているようです。
 その後、少し修正が加えられ、現在は1題目と3題目が子供たちによって歌いつがれています。

     作詞 荒井 亥策   作曲 大西 松世
<日隆上人>
 法華宗本門八品派の開祖と仰がれる僧日隆は、浅井城桃井尚儀の次男として1385年に生まれました。伝えによると、10歳で出家し、名を深円と改め、その後京都に上り、師事した僧に才能を認められ、日立の名を授かりましたが、後に日隆と改めました。日隆は本能寺や本興寺を建立するとともに3000余りの教典を著しました。1417年、かっての浅井城跡に今日の誕生寺の始まりである一寺院を建立し、元成寺と名づけました。誕生寺には、御霊殿・廟所があり、日隆ゆかりの誕生水は、600余年たった今日もこんこんと湧出しています。  

今も湧き出す誕生水

 

   前庭にある校歌碑です。昭和47年度の卒業生により卒業記念品として寄贈されたものです。

 体育館に掲げられている校歌額



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