ため池づくり


 今から およそ60年前の大正10年頃、与作と太助という親子が、栗寺というところにおったと。
 日でりが長く続いたある日のことじゃった。
 田には水もなく用水もからからで、このままでは栗寺の水田は、全部いねがだめになってしまうのはわかりきっていた。
 村ではこの日でりについて話し合いがされたと。
「この日でりじゃ、いねが育たねえ。」
「なんぞ、せにゃなあ。」
と若い吉べえが言う。
 みんな考えこんでしまいました。
 何かしなければとわかっていても、何をすればよいのかわからないのです。空から雨のふってくるのを待つしかないのです。
 ふと、だれかが
「みんなで使う、大きな水をためるものを、つくったらどうじゃろか。」
「それはいい。ため池じゃ。ため池じゃ。」
「わしは、さんせいじゃ。」
「わしもじゃ。」
と、みんながさんせいした と。
 次の日から、さっそく工事に必要な道具が、栗寺の家々から集められて1ヶ月後いよいよ工事がはじまった。
 約2000人ぐらいの人が、毎日栗寺から2km先の辰の口まで、朝もはよから歩いていったそうな。
 尾沼谷から流れている水で、辰の口の横にため池をつくるそうな。
 1月1日、工事の人はふえ、ついに5000人もの人が工事に参加したそうな。
 雨がふり、風の強い日も、また暑くて暑くてたまらない日も、みんな朝早くから歩いて行き、夕方日がしずみ、からすがなく頃まで、毎日毎日仕事をつづけた と。
 とうとうある日、与作が暑さにまいって、たおれてしまったそうな。
 もう与作は働けんので、代わりに息子の太助が働いた と。
 でも、太助は小さいので、つんぼるで、石ころや土を運ぶ仕事しかさせてもらえなかったそうな。
「太助、毎日せなかに、つんぼるがついて重かろう。」
家へ帰るとねている与作が言いました。
「いいや。田んぼに入る水のためだ。水がねえことの苦労を考えたら、このくらえなんでもねえ。」
と強がりを言っても、小さい太助には大変な仕事だったそうな。

 そして
 2年の月日がたちました。
 ため池は、約1万平方mの大きさになりました。

 ため池に入れる水は、山から流れるわき水や、空からふる雨を集めておきました。それを、日でりが続いた日などに、大切に大切に使うのでした。
 工事中にたくさんの人がつかれてたおれました。すると、家族や近所の者、親せきの者が代わりに出るのです。そんな人たちがだんだんふえて最後には、約5000人の人が、ため池づくりに参加したそうです。
 辰の口の横には、今でも大きなため池があります。
「なんて、大きいんだろう。」
と私たちは初めて見たとき思いました。
 大きいだけでなく、大変深いのです。その上、山のおくにあり、なんとなくうす気味悪いのです。
 でも、今でもこのため池が使われているそうです。日でりが続き、十二貫野用水の水がなくなると、栗寺の田へここから水を送るそうです。
 60年前につくられた、ため池が今でもこんな役に立っているのです。


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