十二貫野へ移り住んで


 近くの徳兵衛どんのおんまに、十二貫野の肝いり様から、入植の許可が出たそうな。
 おんまとおっかあと一人娘が雪がとけ、春らしさがいちだんとましてきた4月の初め、はんで作っていただいた小屋へ引っ越すことになったそうな。
 おんまは前の年から、荒地を分けてもらい、自分の田にするため多くの人足たちといっしょうけんめい開こんしていたそうな。
 肝いり様はおんまが開こんした荒地に立派な田ができ、いよいよ田植えができるようになったのを見て、入植許可をだしたそうな。
 おんまは、おっかあと娘の3人であばらやではあるが、自分の家で生活できることを心から喜んだそうな。
 けれども、きびしい毎日が待っていることを思うと心配にもなったそうな。
 徳兵衛どんの家では、おんま(次男のこと)がいよいよ十二貫野の中山にある西田わりの小屋へ移り住むというので、しんせきの人たちがたくさんやってきて、お別れパーティーをやってくれたそうな。
 パーティーには、おんまとおっかあが、母親が毎日夕食がすんでから夜中の12時すぎまで、はたおりきの置いてある部屋でがんばって、おりあげた心のこもった晴れ着を着て、てれながらお祝いの席にすわっていたそうな。
 次の日、おんまとおっかあは、いくらかの家財道具をかつぎ、おんまは2才になったよちよち歩きのできるむすめを背中の荷物の上にのせ、元気に家を出たとさ。
 おんま家族がとうちゃくしたわがやは徳兵衛どんの家とはくらべものにならないあばらやでした。
 しかし、おんま家族にとっては、大切なわがやである。
 わがやについたおんまとおっかあは、休みひまもなく少しの家財道具の整理や明日からの仕事のことで大変だったそうな。
 二人は毎日、朝から晩までいっしょうけんめい働いた。
 おんま夫婦は、真っ黒に日焼けをし、ふるさとをさったときとは、見間違えるほど顔形がかわっていたとさ。

 おっかあの母親は2才のまごむすめが両親にほっぱられ、毎日なきなきの連続ではないかと思うと、心配で夜もねむれないほどであったそうな。「そうだ、おぼんに遊びに来るまでに、かわいいむすめの晴れ着をおってやろう。」そう考えたおっかあの母親は、4月のいそがしい田畑の仕事を終え、家の人たちがねしずまるころから、つかれやねむさで今にも横になりたい体にむちをうって、はたおりの仕事にとりかかったそうな。

 2ヶ月もするとまごむすめに着せるくらいの着物ができあがったそうな。
 今度は、着物に仕立てるのが大変じゃて毎日の苦労のかいがあって7月の初めになると。立派な晴れ着ができあがったそうな。
 あとは、おぼんにむすめとまごむすめが、里がえりするのを待つだけになったとさ。いよいよ、おぼんがきて里がえりをしたまごむすめは、ばあちゃんが作ってくれた新しい着物を着て大喜びでいたそうな。
 2、3日しておぼんもすぎ、ふたたびわがやへ帰ることになった3人はしんせきの人やばあちゃんに見送られバイバイしながら、いつまでも別れをおしんでいたそうな。
 まごむすめは、その後大きくなり近くの人とけっこんして幸せな毎日をおくっていたそうな。そして、老いて死ぬまで、晴れ着を作ってもらったときのことを忘れることができなかったとさ。


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