養蚕業


 佐助どんの親父は、今日も朝から裏山の荒地を一生けんめい開いておったとさ。そこへ、佐助どんのおっかあのちよが、洗たくや食事の後始末をして、おとうの手伝いにやって来たとよ。
「お前、いもでも持って来たかや。」
と、おとうが言うと、ちよは
「ああ、持って来たともよ。」
そんな話をしながら、二人はいつの間にか、荒地を開くのが大変であることの、ぐち話になってしまったとよ。
 そんな時、となりの農家のおとうがやって来て
「佐助どんよ。おらあ荒地を開くのをやめて、蚕をかってみようと思うがどんなもんじゃろう。」
「蚕。そりゃ、なんじゃ。」
「おらあ、昨日、内山のほうへ行ったら、山に生えているクワの葉っぱをたくさんかついだおっかあどもに会っただ。おれはそのおっかあどもに『その葉、何にするがだ。』ときいたら『蚕ちゅうもんをかって、それにこの葉を食わせて大きくし、やがてまゆを作り、そのまゆの糸がいい値で売れる。』ってことだった。おれもその蚕というものをかってみようと思うんだ。」
「そいつは、いい話だ。」
 農家のおとうは、さっそく近くの山に生えているクワの葉をとって来て、蚕の種は内山よりゆずり受けて、蚕がいを始めたそうな。
 蚕の種は、初め、たね紙というものを買ってそれを育てたそうな。はじめは汚れた紙かと思っておったら、いつのまにか小さい虫が動き出してきた。
 これは、けごというもので、クワの葉をたくさん食べて、だんだん大きくなっていったとさ。何回もだっぴをくり返し、そのうちに動かなくなり、葉も食べなくなると、わらのすにもって行く。そのわらの中に、真っ白なまゆを作った。
 やがて、そのまゆをゆで、糸をつむぐのだそうだ。まゆは高く売れた。
 その話が村中に広がり、どの家でも蚕がいを始めるようになった。そこでクワの葉がなくなった。しかたがないので内山までクワの葉を買いに行くようになったとよ。村の中では、荒地を開いてクワの木を植える者もでてきた。
 今では田の仕事の合間をぬって、どの家でもいそがしそうに蚕を育てる仕事が見られるようになった。

 このような様子が昭和の15、6年頃まで続いた。それが化学せんいが出始めると、まゆは売れなくなり、今日ではだれも蚕をかこわなくなった。


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