下中島地区の地名の由来 

住吉治暦(じりゃく)年間(1065〜1068)に、摂津(今の大阪)の住吉から又次郎がこの地に移住し、開墾を進め、住吉神社を勧請したことから村の名が生まれたという。
三ヶ天文年間(1532〜1555)に、飛騨の国から源左衛門と新蔵の二人が移住し、早月川の急流をせき止めて堤防を築くなど、多くの苦難の末に開拓の素地を作り上げた。後に三戸の住居が建ったことから村の名が生まれたという。
慶野永享年間(1429〜1440)の中ごろ、飛騨の国から与三左衛門が移住して開拓に尽力した。この地はよく肥えていて、いつも穀物や野菜が豊かにとれるので、芽(め)出度(でた)野(の)(めでたい野原)の意味から村の名が生まれたという。
川縁永禄年間(1558〜1570)、飛騨の国三ヶ原の住人、庄兵衛がこの地を開拓したと伝えられる。早月川に沿った土地なので川縁と称した。
宮津大昔、港のあったところであり、加積神社の所在地であることから宮津の名が生まれたという。
津は港の意味であり、この地の奥、大熊では今でも海産の貝の化石が多数出土することを考え合わせて、宮津は入り江のようになっていただろうと想像される。
 このように開墾が行われた時代は、4、5百年前から古くは千百余年もの大昔である。
戦国・室町時代は、角川と早月川の氾濫が多く住吉は湿地であった。
早月川の両岸に、川縁、三ヶの地名や同姓があるのはそのためである。  (魚津市史より)




 4階の図書室からの景色 

 校区は、早月川の左岸の魚津市南西部に位置し、自然に恵まれた近郊農業地帯である。魚津水族館やミラージュランド、新川文化ホールなどの公共施設がある。また、校区沿線には、複数の大型店が進出し、商業地化して生活環境が大きく変化してきている。

【西】 魚津水族館とミラージュランドの観覧車
【北】 遠くに三角形の埋没林博物館(ねっこらんど)が見えます
【東】 ショッピングセンターと新川文化ホール(満開の桜と赤いチューリップ畑も見えます)