〔姉妹提携にいたるまでの経緯〕

 

 山男でならした芦峅寺の元南極観測隊員 佐伯富男さんが、しばしばヒマラヤを訪れていた。クムジュンのシェルパたちとも仲良くなり、酒をくみかわしながら富男さんは「うちの立山芦峅小学校と、ここの学校と姉妹校になったらいいな」と持ち出した。それはいい話だ、とシェルパたちも乗ってきた。
 富男さんが咋年、芦峅寺の区長だった事もあって村の人たちに相談、「じゃ、その話を進めよう」となった。話は具体的に進みかけていた。ところが、不幸な事に富男さんはそれからまもなく病気で急死した。
 姉妹校の話もそれで途切れかけていた。
 芦峅寺の山男たちは、「富男さんがせっかく話をここまで進めてくれたんだからあとは俺たちで引き継ごう。富男さんの供養にもなる」と、立ち上がった。話を具体的に進めるにはそれなりの組織が必要だろうと、芦峅寺に「ネパール協会」が設立された。ガイドら主に山の関係者が構成メンバーになった。
 姉妹校を提携するには相手方をよく調べる必要があり、調査団を送る事にした。立山町もこの主旨には賛成だったので、佐伯靖彦町議会文教厚生委員長を団長とし9人で編成、2週間の日程で視察調査をした。調査団の報告は、提携の価値は十分ある、という事だった。
 その後、芦峅寺の元南極観測隊員らを中心とするメンバーも、ヒマラヤをみてきたいという事で第2次訪問団が編成された。
 なれば、町として公式に責任ある交渉をすべきであり、金川教育長を同行させることにした。6月上旬現地を訪れ、シャム校長らと正式に話し合った結果、交渉が成立したのである。

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